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うるま偉人・先人伝

最終更新日:2015年09月12日

うるま市の歴史に名を残した人たち

琉球王国時代から現代に至るまで、うるま市地域からは多くの偉人が輩出されました。
その中で、地域だけでなく沖縄の発展にも寄与した偉人・先人を紹介します。

笑いで戦後復興を支えた沖縄のチャップリン

小那覇 全孝(舞天)

命のお祝いをしましょう

戦後、嘉手納より石川へ移住。本職は歯科医であったが、プロ顔負けの琉球芸能の達人。終戦直後の荒廃したなか、三線を片手に家々を訪ね歩き「生き残った者が、元気を取り戻さないといけない。さあ、命のお祝いをしよう(ぬちぬぐすーじさびら)」と「笑い」と「ユーモア」で人々に生きる希望を与え続けた。後に沖縄のチャップリンと称され、戦後沖縄の芸能と地域社会の復興に多大な影響を与えた。

小那覇 全孝(舞天)
おなは・ぜんこう(ぶーてん)
1897~1969琉球芸能の達人

沖縄再建に尽力した、人道学博士

志喜屋 孝信

住民の利益と幸せを願って

沖縄県立第二中学校校長を経て、沖縄で初となる私立開南中学校を創設するなど、教育のために情熱を注いだ県教育界の第一人者。また、終戦後の昭和21年、沖縄民政府の初代知事に就任し、戦後沖縄の復興に努めた。昭和27年には琉球大学の初代学長に就任。多くの人材を世に送りだした。

志喜屋 孝信
しきや・こうしん
1884~1955 教育者・沖縄民政府初代知事

沖縄芝居に影響を及ぼした、和文学者

平敷屋 朝敏

才能に恵まれながらも、波乱の人生を歩む

組踊「手水の縁」の作者。薩摩支配下における苦難の時代、士族という身分におごることなく、農民など弱い立場の人たちに温かい眼差しを向けることができた沖縄近世随一の和文学者。1727年、脇地頭として平敷屋に配され、水不足に悩む農民のために溜池を掘削し、掘り起こした土を盛り上げて築いたのが「平敷屋タキノー」である。

平敷屋 朝敏
へしきや・ちょうびん
1700~1734 和文学者

護岸整備の必要性を訴え続けた、立役者

真鏡名 安明

安定した人々の暮らしを目指して

医師として住民の健康管理を担う一方、地域の教育、行政、経済の発展に尽くそうと昭和4年に県会議員に立候補し当選。与那城地域の農耕地の保全を図るため、昭和8年から実施された「沖縄県振興15カ年計画」を当地域に誘致し、海岸線全域の護岸工事、耕地整理事業、土木農道、河川工事等に尽力した。

真鏡名 安明
まじきな・あんめい
1884~1935 医師・県会議員

琉球古典音楽の普及発展に寄与

世礼 国男

声楽譜付野村流工工四(くんくんしー)を出版

昭和10年から昭和16年にかけて、伊差川世瑞(いさがわ せいずい)との共著による「声楽譜付野村流工工四(くんくんしー)」を出版する。「工工四(くんくんしー)」とは、三線のための楽譜であるが、あくまで絃楽譜であり、声楽の稽古用ではなかった。世礼国男が考案した声楽譜は、琉球古典音楽独自の発声法等を記号と点や線によって表現し、符号の解読さえ習得すれば、初心者でも独習できる教本である。
琉球古典音楽の普及発展に大きな役割を果たした。

世礼 国男
せれい くにお
1897・7・20~1950・1・23(明治30~昭和25)
詩人、琉球古典音楽研究者。旧中頭郡与那城間切平安座出身。

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