九代目の茂知附按司の圧政から民を救った『阿麻和利』は十代目按司として積極的な海外貿易によってますます力をつけて行きます。
阿麻和利の勢力に脅威を感じた琉球国王・尚泰久は、重臣の護佐丸を中城域に住まわせ阿麻和利を牽制し、娘の百度踏揚を嫁がせました。ところが、天下統ーを目指した阿麻和利は1458年に護佐丸を倒し(護佐丸・阿麻和利の乱)、王府打倒へ動き出しまし た。しかし、それを妻の百度踏揚と大城賢雄(百度踏揚の付き人)に知られてしまいます。
2人が国主に危機を伝えたことで、阿麻和利は大城賢雄率いる王府軍によって滅ぼされてしまいました。
琉球:1429年から1879年までの450年間、沖縄は琉球王国という独立国家を形成していた。
多くの歴史書では、阿麻和利は琉球王府に歯向かった悪者として扱われています。しかし、その後の研究によって名君であったと称えられていたことが分かり、「護佐丸・阿麻和利の乱』は2人の力を恐れた琉球王府が、彼らを排除するために仕組んだものだという説も浮上しています。
百度踏揚は夫の阿麻和利を殺した大城賢雄と再婚します。
しかし、その賢雄も王府の陰謀により殺され、夫を失った百度踏揚は寂しい隠居生活を送ったと言われています。政略結婚に利用され、二度も夫を失った百度踏揚は、まさに悲劇の王女と言えるでしょう。
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