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更新日:2023年12月8日

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うちなーぐちって何?

2009年にユネスコ(国連教育科学文化機関)により、消滅の危機にある言語として認定(※)されたうちなーぐち(古くから沖縄で話されている言葉)。沖縄の大切な歴史、文化であるうちなーぐちを次世代に引き継ぐために、私たち一人ひとりに何ができるのか考え、行動することが求められています。

ここでは、沖縄のうちなーぐちの歴史と、うるまのうちなーぐちの特徴、よく使われるうちなーぐちを紹介します。

(※)沖縄県で認定されたのは国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語

うちなーぐちの歴史

うちなーぐちの歴史は琉球王国(1429年-1879年)の時代にさかのぼります。言語のルーツは日本語であるとされていますが、奈良時代までには分かれたと考えられており、琉球方言、沖縄方言、沖縄語ともいわれています。

琉球王国の首都であった首里に住む人々が話していたのは沖縄中南部の言葉で、ユネスコの分類では沖縄語にあたります。九州の方言や日本の古語の影響も見られ、本土ではすでに失われた言葉も多く残されています。

その後、明治時代には政府が日本本土の標準語使用を推進し、学校で沖縄の言葉であるうちなーぐちの使用を禁止しました。うちなーぐちを話した子どもは、次に話す人が現れるまで、板で作った「方言札」を首からぶら下げる罰を受けました。この標準語の普及運動は昭和中期まで続き、うちなーぐちを使う人も減っていきました。現在は沖縄の文化や言葉を大切にする考えが広まり、2006年には9月18日が「しまくとぅばの日」として制定されました。

うるまのうちなーぐちって?

ユネスコでは琉球諸島の言語(うちなーぐち、しまくとぅば)として、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語の6つがあるとしています。沖縄本島には大きく分けて沖縄北部方言と沖縄中南部方言があり、北部は国頭語、中南部は沖縄語が主に使用されています。

南北の境界は、太平洋側ではうるま市石川と金武町の間、東シナ海側では恩納村恩納と谷茶の間とされています。うるま市は分類上では中南部に属していますが、南北の境界に位置しているのが特徴です。

うるま市は、那覇や首里に代表される中南部の都市文化や歴史と、やんばるに象徴される北部の自然という、両エリアの特徴をあわせ持つまちであり、言葉も与勝半島、屋慶名、離島など、地域ごとに異なる多様性が特色となっています。

地域によることばの違い

石川、具志川、与勝、離島と異なる文化、歴史を持つうるまでは、うちなーぐちもバラエティ豊か。たとえば屋慶名、与那城地区では、隣り合わせの集落であるにもかかわらず言葉が通じない、ということもしばしば。伊波城を中心に形成された石川の伊波には独自の「いふぁくとぅば」が残されています。さらに、独自色が色濃い離島でも、津堅島で話されている言葉には北部の国頭語の影響がみられる、といった具合です。

地域の慣習や伝統文化が消えつつある都市が多いなかで、うるまではその一つである「言葉」が脈々と受け継がれ、今に伝わっているのです。うるまの宝として、大事に守っていきたいですね。

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防災広報対策部秘書広報課

沖縄県うるま市みどり町一丁目1番1号うるま市役所 東棟3階

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