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更新日:2023年12月8日

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石川エリア

石川は北に石川岳、西に石川岳の裾野が広がり、南は伊波丘陵、東は金武湾に面しています。昭和初期までは現在の沖縄市を中心とする行政区に含まれる農村集落で、碁盤の目のように整理され、屋敷はフクギで囲われていました。

標高87メートルの丘陵には県指定史跡の伊波城跡があり、近くには国指定史跡の伊波貝塚があります。伊波集落は先史時代からの生活の場であり、市指定文化財の伝統的な織物「伊波メンサー織」でも知られています。

1945年4月には米軍により民間人収容所が作られ、その後、沖縄県庁の前身である沖縄諮詢委員会、民政府、東恩納博物館などが設置され、沖縄政治・経済の中心として発展しました。米軍の保養所だった石川ビーチは復帰とともに返還され、白浜公園(現在の石川公園)が整備されました。沖縄自動車道の石川ICがあり、うるま市の玄関口となっています。

石川エリア わがまち再発見

闘牛(石川多目的ドーム)

沖縄では古くから大衆娯楽として闘牛(ウシオーラセー)が親しまれてきました。なかでもうるま市はもっとも闘牛が盛んなまちだといわれ、全国で初めて「闘牛のまち」を宣言。市の無形民俗文化財にも指定されています。

2007年に完成した石川多目的ドームは県内唯一の全天候型闘牛場で、年間約25回の闘牛大会が開催されています。春、夏、秋と年に3回開催される県内最大規模の「全島闘牛大会」は毎回3,000人以上の観客が訪れ、立ち見がでるほどの大盛況ぶりです。

闘牛のルールはいたってシンプル。相手に背を向けて逃げたら勝負ありです。「ガツン」という角がぶつかり合う音や1トンを超す巨体をぶつけ合い、相手を倒そうとする闘争心は迫力満点。相手の頭や顔を角で突く「割り」や横腹を一気に襲う「腹取り」など技も多彩で、知っているとより闘牛を楽しむことができます。

牛の闘志をあおる闘牛士(勢子/せこ)のヤグイ(掛け声)や、石川出身で沖縄唯一の闘牛実況アナウンサーである伊波大志さんによる分かりやすい実況にも注目してください。伊波さんによる闘牛士の実演も大人気です。

うるま市には闘牛が伝統文化として根づいており、まちのPRや魅力発信にもつながっています。9月から12月には「観光闘牛」が平日の週2回実施されており、エキシビジョンマッチのほか、伊波さんによる闘牛レクチャーも行われています。観光で訪れる人だけでなく地域の人も気軽に闘牛を体験し、その魅力に触れることができます。

自然体験スポット

市内の北部に位置する石川は、トレッキングや洞窟体験など、さまざまな自然体験ができる場所です。標高204メートルの石川岳は1時間程度で気軽に登山が楽しめる初心者向けコースから、「原始の森」と呼ばれる亜熱帯のジャングルを楽しめるコース、川のせせらぎを聞きながら自然を楽しめるコースなどがあります。登山ルートは管理者が常駐する石川青少年の家側からの入山が基本で、本格的なトレッキングの装備の用意をおすすめします。自然の山なのでルート以外の道は歩かず、イノシシやハブなどへの注意も必要です。

石川岳の中腹から山頂にかけては約8ヘクタールの石川市民の森公園が整備されています。山頂の展望台からは、右手に太平洋、左手に東シナ海を見渡す絶景が眼下に広がります。石川岳があるのは沖縄本島の最狭部で、みほそ(真ん中、おへそ)の町と呼ばれていた石川の地形を実感することができます。春には桜、初夏には白い花が咲くイジュ、秋にはイタジイやスダジイが実り、どんぐり拾いも楽しめます。

このほか、観光地としても人気の「CAVE OKINAWA」では、全長200メートルの洞窟で神秘的な鍾乳洞を見ることができます。この場所は「ぬちしぬじガマ(命をしのいだ洞窟)」と呼ばれており、今帰仁城の王子が逃げ込み、命が助かったといわれています。沖縄戦の戦時中には住民300人が避難しましたが、一人も命を落とすことなく助かり、洞窟内で赤ちゃんも生まれた縁起のいい場所としても知られています。

「発祥」の地、石川

うるま市の歴史・文化には4つの特色があります。海との暮らし。グスクと集落の歴史。歌と芸能の文化。そして、戦後復興の発地であるということです。この4つの個性が層になり、現在のうるまを形作っています。

なかでも、新しい時代の沖縄は石川から始まったといわれています。沖縄戦のさなかに米軍により設置された民間人収容所「石川収容所」は、県内各地にあった収容所の中心的な位置づけで、戦後の沖縄行政の出発地となりました。収容所内には戦後初の学校で、現在の城前小学校の前身である「石川学園」が開校。城前小学校の校内には「戦後教育発祥之地」の石碑が建てられています。

石川収容所にカンカラサンシンを手に現れたのは「沖縄のチャップリン」といわれる小那覇舞天(おなはぶーてん)さん。弟子の照屋林助さんとともに「ヌチヌグスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」と言いながら慰問を続け、歌と踊り、笑いで沖縄の復興に尽くしました。照屋林助さんの息子はりんけんバンドのリーダー・照屋林賢さんです。ほかにもこの地から多くの民謡歌手が生まれ、戦後の芸能や、のちの沖縄ポップカルチャーの礎となったのです。

石川の海を一望する曙地区にはアメリカの風情が漂う外人住宅が60軒以上あり、現在はおしゃれなカフェやこだわりのハンバーグ店、洋菓子店などが点在しています。アメリカの雰囲気がある街というと、北谷町のアメリカンビレッジや沖縄市のコザ十字路などが知られていますが、石川の外人住宅はその原型ともいえる場所で、そこから新たな魅力が生まれ続けています。